リーファトロジーの哲学 / Philosophy of Lifatology

美しき曲々の和訳、遺書としての。時に考察

ガリレオはなぜ有名なのか? - 科学史的要約

I would like to be genuinely grateful here to Prof. T, who kindly introduced me to philosophy of science (even though I did not major in it…).


 ガリレオが有名である理由は、それが科学史の世界で最も重要な人物の一人だからだと言えます。つまり、アカデミズムにおける「人気」が小中学校などの末端の教育機関に「浸透」している故だと考えられます。ではなぜガリレオ科学史的に重要なのでしょうか。以下に、私なりにまとめてみました


 ガリレオの重要性は彼の功績にやはりありますが、この功績というものはガリレオが存在した時代のみならず、現代までつながる(科学の)歴史の中に位置づけられる必要があります。すなわち、ガリレオは単に宗教的権威に科学的な方法を用いて反抗したのみならず、「第二次世界大戦」にまで至る諸分野の「構造転換」の契機となった故に、現在のような学術的(結果的に市民的)「人気」を博していると言えます。この点を確認するためにまずは、彼の科学の特徴について見ていきましょう。


 ガリレオ科学の特徴は「科学機器(人間能力の外化)」、「数学的モデル化」、「実験」にありますが、先の2つの科学への応用は既に先行するコペルニクスケプラーによってなされています。故に、真にガリレオ科学を特徴づけるのは3つ目の実験だと言えます。では、この実験の概念は先の2つと決定的に何が異なるのか。それは、前者2つがあくまで自然に対して「受動的な関係を結ぶ」のに対して、後者は「積極的な関係を結ぶ」点です。つまり、実験は前者2つとは異なり、自然を「模倣」し、最終的にはその結果を用いて自然を積極的に「征服」しようとする概念です。この科学に本来的ないわゆる「支配性」は、後述するように人類史に大きな影響を及ぼすこととなります。


 同時に、ガリレオ的な科学主義は「近代」を構成した「3つのR」と共起することで、よりその歴史的存在感を増したと言えます。第一に、ガリレオの思想は古代ギリシアにその源泉を持つ「ルネサンス(Renaissance)」の思想の終着点にありました。つまり、人間性の復興を願う文芸復興運動に思想的裏付けを得て、ガリレオの思想は影響力を持ったと言えます。第二に、彼の思想は「宗教改革(Reformation)」とも大きな関係を持ちました。なぜなら、彼の打ち立てようとした「合理性」の王国は、まさにカトリック的「魔術」の王国の根幹を揺るがすものだったからです。最後に、彼の思想は西洋における初めての「革命(Revolution)」を結果的に後押しすることになりました(これまでに「体制変更」を伴わない「改革/革新(Innovation)は多くありました。しかし、革命は体制を文字通り「Revolve」しなければなりません)。それは産業・経済システム(農業から工業・商業へ)、政治(王から民へ)、知(宗教から科学へ)という3つの次元で展開されることになりました。


 この変化はオランダにおける通商主義を経由し、英国において大きな変貌を遂げます。つまり、ガリレオ的思想は大英帝国植民地主義の誕生につながることとなりました。また、同様の起源から生まれた資本主義的生産様式は「物象化」と呼ばれる現象を引き起こしました。つまり、人間はもはや「貨幣と交換できる『モノ』」と化しました。これは、人間性の解放を謳うルネサンスの思想にガリレオの思想が支えられていたことを考えると興味深いと言えます。このような変化の背景には何があったのか。戦後のドイツの知識人が振り返るように、ここには科学本来の「支配性」の変容がありました。つまり、本来科学は「人間の自然に対する」支配関係を媒介していたにもかかわらず、後に「人間の人間に対する」支配関係を媒介するようになったのです。この変化は想像に易いように20世紀には2つの大戦に結実しました。例えば農業用肥料がナチスドイツの使用した毒ガスに変容したこと、農業用トラクターが戦車に変容したこと、そして最後には原子爆弾が天才的科学者であったアインシュタインによって開発されたことなどは、このような意識の変化を体現していると言えるでしょう。


 このように、大戦構造が冷戦構造として戦後存続し、その崩壊後も「グローバルな資本主義」における構造格差として人類に大きな影響を与えていることを鑑みると、その思想的・実践的起点となったガリレオの功績は「良くも悪くも」重要だと言えます。しかしながら、当然ガリレオの功績と実際の構造転換の結びつけは結果論的であり、それらの間の「affinity(共通の起源からくる類似性)」を指摘できても、因果関係を主張することは難しいように私には思えます。歴史は「緻密すぎる」か「壮大すぎるか」だと言った哲学者がいましたが、まさに後者だと言えないこともないのではないでしょうか。


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