リーファトロジーの哲学 / Philosophy of Lifatology

美しき曲々の和訳、遺書としての。時に考察

自己療養=破壊的な文章⑨


 そろそろ踏ん切りをつける時なんだろう。雨が夏の暑さを、町の隅々から洗い流してしまった。毎朝身支度を整えて外に出ると、風がシャツの隙間から体を滑る。その冷たさに、思考は時と空間を超え、数年前の大学へと飛び立つ。キャンパスは期待に満ち、俺は若かった。酒を飲むときはいつも誰かが傍にいて、弱音を吐くことのできる人もたくさんいた。Yは綺麗だった。そして、もう一人のYは愛おしかった。俺は考え得る限り最悪の形で彼女たちを損なった。艶やかに咲く花を根元から手で引きちぎり、アスファルトの上、ぐちゃぐちゃにブーツの踵で踏みにじったみたいだ。今だって、もう連絡先も知らないのに、毎日のように話を聞いてほしくなる。意識が東京の朝8時に戻ると、バットで頭を殴られたみたいにクラクラする。倒れそうになる。街の誰でもいいから、話しかけて全部吐き出してしまいたくなる。それでも俺の身体は何の問題なく、電車に乗り、会社へと歩いて行った。毎日、どうも不思議な気持ちになる。


 物語がなければ生きている意味なんてありはしない。もう、何を食べてもたいして味がしないし、気分が悪くなる。バーにいても、ただ義務感を飲み干しているだけだ。煙草はもう曇らせてくれない。先行きが見えるのは何よりも恐ろしい。先週の神戸への突然の帰郷は、俺の家族と呼ばれる人々が、いかに退屈で分別の欠片もない屑かを明らかにしただけだった。家にいると息がつまりそうだった。まともに眠ることさえできなかった。彼らは俺の話に何の興味も示さず、好きかって吐き散らかした。俺が嫌な顔をすると、もっと嫌な顔をした。幼いころの原色の恐怖を思い出した。そして何よりも、俺はこの人間気取りの屑どものれっきとした「家族」なのだ。俺は劣後者だ。俺は障害者だ。24歳にもなるのに、男性としても人間としてもまともな経験もしてこなかった傷物だ。独りだ。人々の退屈そうな顔を見るのはいつだって気が滅入る。


 昔の俺は利口だった。全部傷つけて、全部かなぐり捨てて、このまま進めば俺はやっと死ねる。仕事もたかが知れてしまった。見捨てられる。君は退屈そうな顔をした。君が汚される妄想。実際には思いやりの面をした誇大妄想だ。頭をバットで殴られる。ふらついた。電車が来たのに乗れなかった。鍵もドアもあるのに開ける気にならなかった。辛いふり。煙がクラゲみたいで綺麗だ。胃が出そうになるまで吐き続ける。君を思い出した。月のピアス。町中に俺が首を釣っていた。錆びた鉄の匂いがした。


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