リーファトロジーの哲学 / Philosophy of Lifatology

美しき曲々の和訳、遺書としての。時に考察

少しずつ自分に失望していくことについて

自己療養=破壊的な文章④


 もう10月になる。昼間の暑さはまだシャツを汗ばませるが、夜は少し寒い。その寒さに、自分がまだまともな人間だと思えることができた昔を思い出す。たった数年前なのに異国の物語を聞くように疎遠に感じることもあれば、数年も経ったのに手で触れることができるかのように感じることもある。俺は過去と現在と未来についての思考に振り回され、引き伸ばされ、バラバラになってしまいそうになる。
 もう少しで22歳が終わってしまう。俺は昔誓ったように後十数日で死ぬのか、あるいはその後もぬけぬけと知らぬ顔をして生きるのか。多分死なないだろう。そんな不甲斐のなさにますます俺は自分自身に失望しないといけない。
 今日、2年ぶりにまともに大学の授業を受けた。もう単位を集める必要もないけれど、担当教官に勧められて、新書を輪読するゼミに参加した。参加者は4人だった。2人の3年生(その内一人は中国からの留学生だった)。就職先の決まっていないヒッピーの香りがする5年生、そして(あぁ、まともな就職先を確保し順調に卒業論文に取り組んでいる見事な!)俺。本の内容は、民主主義がどうだとかだった。序論を読んで一応1時間そこら授業を受けたが、内容はほとんど覚えていない。
 中国人の学生が熱心に授業を受け、ことあるごとに流暢な日本語で筆者に対する不平不満を述べていた。ポピュリズ政党は既存の体制を批判しているとは言い難いだとか、エピストクラシーとテクノクラシーは違う(理由は忘れた)だとか。声高に自分の意見を述べる彼の表情は満足げだった。他方、教授は彼が授業の流れをたびたび乱すことに一見不満げだった。中国人の彼は俺の発言にも批判を加えた。俺はそれに対して、反論を取り繕った。彼は満足げな顔をしていた。
 そんな虚構めいた雰囲気が、俺をひどく悲しくさせた。とどのつまり、何がそこで生み出されたというのだろう?皆が皆の好きなように物事を理解しようとしていた。交わされた言葉は実は何も目指してはいなかった。ただ、舞台に上がった役者がわざとらしく目配せをするように、皆が議論をしているふりをしていた。
 かつては、俺も中国人の彼のような熱心な学生だった。意見を求められれば門切りの文言に身を任せて雄弁なふりをしていた。授業後、彼は俺に、俺が言及した技術哲学者の名を尋ねに来た。かつての俺も、教授にマルクーゼの著作を尋ねにいった記憶がある。彼の目は純粋な興味に染まっていただろうか?あるいはそれは、自分への酔いに濁っていただろうか?わからない。ただ、自分の姿を彼に重ねると、俺はひどく悲しくなったし、同時に彼に大きく腹を立てた。
 俺は、本当は学ぶことが好きだったのだろうか?俺は自分の学術的発想力のなさに失望し、身の保身のために、もとより学びなどパフォーマンスだったのだと言い張っているのだろうか?あるいは、実際にそうなのだろうか?

 別の日: 喫茶店卒業論文を書いていた。苦労して大量に文献の要約メモを詳細に作っていたので、論文を書くのは頭を使わない。単に右から左へ、形式的に内容を移しているだけだ。途中で3人の主婦が隣の席に着いた。彼女らは自身の子供や夫や、あるいは受験の制度について話していた。彼女らの雄弁な話しぶりは、あたかも、「私は人生の一番大変な時期は乗りこえたから」というような風だった。眉をひそめてラップトップに向き合う俺をちらりと見る目には、憐れみと、見下しと、生々しい余裕があった。だが勘違いするなよ?くだらない週刊誌の情報などを「科学的」だと信じるお前たちに、俺自身の歩んできた道を「若者らしい」などと揶揄させはしない。心底満足げな表情は豚のようだった。その表情が、俺をひどく腹立たせた。

  A few days before: I was diagnosed to have a developmental disorder, or autism spectrum more specifically. What does this mean? Does that mean my life is going to be blown up all the more? I’ve been an outcast since my youth wherever I’ve been: family, class, club, part-time job. That is why I’ve been giving it my soul at least on what I can do. The world is giving me the finger saying, ‘Hey, you’d already lost’. It seems certain I can’t open my mind to no one to die on my own, soon if I commit suicide or in tens of years if I don’t. I got sick of it. I wanted to trust myself to some loving family, living my life in my own way with some liberated mind. I wanted to hold someone tight, to love and be loved much. And that’s what I cannot do by any means, so far, now, and from now. I’m awfully disappointed with myself.


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