リーファトロジーの哲学 / Philosophy of Lifatology

美しき曲々の和訳、遺書としての。時に考察

クラゲが舞った。

言葉を纏え(1/ )


 春風が神戸の街を撫でた。郵便ポスト、定食屋、ガードレール、歩道橋、地下鉄…。町中の全てが期待に満ちて見えた。愛おしくなった。暖かかった。俺だけが醜くて場違いだった。

 

 幸せになれない目途がたった。だから、遺書を書く。書き終わったら死のうと思う。所詮、言葉の戯れだ。だが、真剣な戯れでもある。俺は果てに気づいた。自死への決意が遺書を書かしめるのではない。むしろ、書くことこそが、決意への道を敷くのだと。書くには、自己を点検しないといけない。部品の一つ一つを手に取り、緩みや軋みがないかを確かめる。それらを組み立てた先に、やはり凄惨な結末が待つのならば、俺は縄の輪にやっと安心を見出すことができるのだろう。

 

 問題は、書ききれるかどうかにある。これまで、何百と誤った。推敲は書かれた何かへの後悔へと変わり、新たな推敲を呼んだ。きりがなかった。そこには、徐に書こうとする激情はあったが、書ききろうとする勇気がなかった。そして、今後も、俺は卑劣な臆病者であり続けるのだろう。

 

 だから、今度は人の力を借りようと思う。これから俺は、掃き溜めみたいなこの場所で、ぶつ切りに言葉を連ねよう。他者の目に晒せば、言葉は責任を帯びてくる。独り言は約束へと変わり、必然が立ち現れてくる。撤回の余地と共に、逃げ場が少しずつ無くなっていく。そうすればやっと、俺は俺を殺すことができる。これは、自己を「確定させる」試みだ。そこには、誰であれ、誰かがこの文章を読む可能性さえあればいい。

 

 二十代は、自死を決意するには早すぎると人は言う。だが、俺は心底そうは思わない。過去は未来を推し測る軌跡だ。十数年の年月が、決断を下すには短すぎるというのなら、人生はただの博打になってしまう。そして、俺は博打を生きてきたつもりは毛頭ない。

 

 目の前の町は確かに、俺が生まれ、育った町だった。繁華街を歩く人々は、相も変わらず気楽そうで、幸せそうだった。町の隅々に、忘れられぬ惨めさが染みついていた。それは、俺が逃げ出した町だった。だが、結局、俺は東京でも同じシナリオを繰り返し続けている。全ての問題は俺の中にあった。今となっては、ただそれだけのことだった。

 

 胸の一番奥に、真っ赤な肉の塊がある。ここ六年は、それが少しずつ腐り落ちていくようだった。今、表面はグチャグチャに膿み、蛆が無数に這う。些細なことで、針を刺したようにひどく痛む。

 

 もう、一人ではどうしようもない。

 

    真夜中にクラゲが舞った。


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